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僕が写真を撮る理由。 #カメクラの沼カレ2019

2019年はまだ短い人生の中でも数本の指に入るくらいの早さで進んで、濃い1年だったと思う。

こう思えるのは、Lightroomカタログにある今年撮影した写真の枚数が10,000枚を超えていたから。Googleフォトにしかない写真を入れるともっとある気がする。


ちゃんと写真を撮るようになったのは高校2年生の修学旅行。あれから4年経って、なんとなく「毎日を記録したいから写真を撮る」んだな、と考えるようになった。

だから、GoogleフォトやLightroomに並ぶ写真の枚数が多いほど、どれだけ濃い日々だったか分かるんじゃないかと思っている。

でも「毎日を記録したい」って本当に写真を撮る動機なのか?

確かに毎日を記録することに価値はあるし、日々の記録は大切なこと。それはそうなんだけれど、僕が写真を撮るにはそんな表面的なものでは無い、もっと深い動機があるんじゃないかな?

そんなことを考えながら、ここ最近は昔撮った写真を見返すことが多かった。それで、昔の写真を眺めるうちに答えが見つかったような気がしたんだ。

カメラの話はあまり出てこないけど、これが僕が写真を撮る理由

「楽しい時間」を写真に残すのは、たぶん当たり前

「日々の生活で感じる楽しさを大切に」と自分のモットー(ポリシー?)を明文化するようになったのは去年の暮れあたりからだけど、自分の中では「楽しさ」はずっと大事な要素。

楽しさがあるから毎日の生活が豊かになるし、楽しさが新たな楽しさを呼ぶと僕は信じている。

↑そんな話をたくさんしたTEDxRikkyoUの講演。

で、そうやって考えていくと楽しい時間を残したいから写真を撮っているのかな?と最初は思った。


思えば、携帯電話を手に入れた小学生の頃から「楽しい」と思った時間は写真に残していた。家族で旅行に行ったとき、友達とちょっとだけ遠くの場所に遊びに行ったとき、いろいろ。

200万画素、最大サイズでもフルHDちょっとくらいの画質しかなかったけど、楽しい時間を残すのも、写真を撮るその行為自体も楽しかった。

そして、その「楽しい時間」は何も被写体が存在する時だけ残しているわけではなかった

結果として生まれた写真が何気ない風景であったとしても、そこには当時の僕にしか分からないような楽しさがあるだろうし、当時は言葉に出来ないような楽しさ、あるいはそれに類する感情を写真に残していたんだと今は思う。

その感情は本当に「楽しい」かもしれないし、今でいう「エモい」に通じるのかもしれない。

楽しいの延長線上にある「エモ」でいうと、僕が一番「エモかった」し「楽しかった」と思っているのが高校3年生の夏。

当時軽音楽部に所属してたんだけど、同期のバンドが2バンドも全国大会に出場することになって、受験勉強を放り投げて小田原に応援しに行ったんだ。

結果的にそのうちの1バンドが奨励賞(全国ベスト7)になって全員で大喜び。近くに海があったこともあって、そのまま制服で海に飛び込んだ。なんてキラキラした夏なんだろう。

制服はビショビショのパサパサになったし、帰り道は夏なのに濡れた制服が肌にくっ付いて超寒かった。でも全部がエモくて、全部楽しくて、忘れられない夏。

こんな細かい思い出も、きっと写真に残していたからこそ思い出せるし、今でも覚えていられてるんだと思う。

フィルムカメラを手に入れた去年の初夏もそうだ。

セミプロカメラマンだったおじいちゃんが数十年前まで使っていたOM-1を譲り受けたあの6月、ワクワクしながらフィルムを買い、慣れない手つきで装填し、夢中でシャッターを切った。

そうして出来上がった「最初の36枚」は、それはそれは酷い出来だった。二重像のピント合わせは眼鏡の度数不足と相まって難易度も高くて、どの写真もボケボケ。ピントの合ってる写真は数枚くらいしかなかった。

でも露出とピントを合わせて、脇を締めて(手ブレ補正なんてない)撮った写真たちを見た時、デジタルカメラで撮った写真を見る時とは違う感情を抱いた。それはきっと「言葉にできない楽しさ」がそこには詰まっていたから。

「楽しい時間」だけ過ごせるわけではない

でも、人生って「楽しい」ばかりで埋め尽くせるわけではないし、楽しいという感情だけで上手くやっていけるわけでもない。そういうものでしょ?

たとえば、高校3年生のあの夏。エモかったし楽しかったけど、あの日の僕の感情の中には「嫉妬と悔しさ」が確かにあった。

あの夏、僕が1年生の頃から組んでいたバンドは都大会でベスト21になり、例年であれば都の決勝大会に進めるはずだった。
でも同期には、その大会で準グランプリ・全国大会に出場するようなバンドが2つもあって、彼らに評価で負けた僕たちのバンドは規定で決勝大会に出られなかった。

同期の中では一番長く同じバンドを組んでいた僕たちが決勝に上がれず、半年前に結成したバンドが準グランプリ・全国奨励賞を取っていく。

高校時代は家に居場所なんて1ミリも無くて音楽・軽音楽部が頼りだったから、彼らに対する強烈な嫉妬と、もっと出来たはずなのにという自分に対する悔しさは凄かった。

たった1つの居場所がなくなってしまいそうだったから。

素直に「おめでとう」と言う反面、心の中での嫉妬と悔しさが邪魔をする。なんてことない1枚だけど、その1枚にはこれだけのエピソードが詰まっているんだよね。

ちなみにこの悔しさは、10月の文化祭でトリをやることによって晴れるんだけど、これはまた別の話。


たとえば、今年の夏。高校生の頃から3年以上付き合っていた彼女と別れることになった。

去年のちょうどこの時期くらいから少し調子は良くなくて、それを解消する機会が作れず、最後はお互い溜まりに溜まった言いたいことを言い合って、合意して別々の改札に向かった。あれは8月1日のことだった。

それから数日経ってから、僕は何度も旅に出た。大阪・名古屋・北海道・軽井沢・草津・伊豆。思い返すと完全に傷心旅行のそれだと思う。

夏の写真を見返すと皆を写した写真とか皆と撮った写真の割合がすごく多いんだけど、きっと沢山の人と会ったり話したりすることでギリギリ踏ん張ってたからなんだろうと思う。

最近の写真にスナップの枚数が多いのは、やっと気持ちが安定したからだろうか。

だから、1年半前に「楽しい」と思って撮った写真には「哀しい」という感情がどうしてもついて回る。4ヶ月で沢山のことがあったからだいぶ薄れてはきて「楽しかったな」くらいには戻ってきたけど。

「楽しい時間」以外も残すから、見返すのが楽しくなる

こうやってここ数年で撮った写真数万枚を眺めながら考えて、やっと自分の中で答えが見つかった。

僕が写真を撮る理由、それは「その時の感情を記憶に残したい」から。それっぽく言うと「喜怒哀楽を残したい」ということになる。

撮ってきた数万枚の中には、少なからずその時に感じた僕の感情が残っている。

3年前に喜びと同時に感じた悔しさも、今夏つらい時期にみんなと会って声をかけてくれたことに対する感謝も、あと少しで終わろうとしている2019年を思い出しながら感じる楽しさも、全部。


今年はちょっとやり過ぎなくらいカメラもレンズも買ってしまったけど、日々の生活で感じるたくさんの「楽しさ」と、たまに感じる「楽しい」以外の感情をちゃんと残せるのなら、間違いなく良い買い物だろう。

自分と皆の感情とその場の様子を、たくさんのフィルムとたくさんのメモリーカードに収めて。いつか「この日はこうだったよね!」って皆と語り合う日々が楽しみで仕方ないよ。

これからの人生も、自分自身の、そして皆の喜怒哀楽を残したくて。これからも僕は写真を撮り続けていく。

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今回の記事は、カメラ沼の底に在住のしむさん( @46sym )主催の「カメクラが沼へ誘う Advent Calendar 2019 #カメクラの沼カレ2019」というアドベントカレンダーに向けて書きました。

カメクラの沼カレ2019では全3つのアドベントカレンダーを通して、毎日3人のフォトブロガーが物欲とカメラ欲を刺激しまくるブログ記事を公開しています。

僕の前日である12月17日の担当はabcさん( @dabcphoto )。湘南の海をたくさん、しかもバケペンで撮るとか最高ですか本当にッ…!

そして翌日12月19日を担当してくれるものさん( @monono_16 )も「ノクトンかバケペンか…」とのことで、もしかしたらバケペン勢に挟まれるのかもしれない。オセロの法則だと買わないといけないネ!

全3つのアドベントカレンダーへのリンクはこちら。どの記事も読み応えがあってとっても面白いですよ。